番号:003 記事名:男がパンティを穿くこと3 記載者:ダンパン 掲載日:2013/08/11
私のパンティ自穿き生活は、好色な妻協力のもと、それから始まりました。むろん妻は私を変態視などしません。私が変態だというなら妻も同様だからです。妻は私が妻所有の日常のパンティを穿くことを好みました。そうすることで妄想がわき、私の男根が妻の性器に当たっているような感覚を受けると言っていました。

当初こそ妻のものを穿いていましたが、すべての所持品を知っている妻のパンティに新鮮さを感じなくなり、妻に私に穿けそうな新品を買ってきてもらうようになりました。しかし妻が買ってきてくれるパンティはどうしても妻の感覚で、実用性を優先した選択でしたので、これにも私は飽き足らなくなってきました。

自分で自分用のパンティ購入は、初めこそ妻と一緒に行き、お揃いのを買ったりしましたが、しだいに妻に内緒で行くようになり、夜に妻を驚ろかすのを楽しみにしていました。しかし私にとってパンティは妻との夜の生活のアクセントに留まらず、自分で穿いている妖しい感覚、自己中心の味わいに、しだいに変わって行きました。ですが夫婦でいた間、他の女性に目を移したことはありません。


妻は夜以外、自分の汚したパンティを見られるのをひどく嫌っていました。パンティの汚れ、いわば汚物に対する愛好は、パンティの着用とは違い、通俗的社会的にも極度に偏った性行と受け止められる思いますが、排泄物や吐瀉物そのものに対する偏愛(筒井康隆『俗物図鑑』などに顕著)とは違い、愛しい妻の体の、とくに最も女性たる部分から出てパンティに付着した分泌物のニオイ、形状などは、私の好き心をくすぐるものでした。ニオイというものは男女間において非常にエロティックな役割をするのです(体臭、纏足など)

夫婦でいた間、愛しい妻の汚れ、特定の愛する個人の付けたシミということで、それをも愛しいもの、好き心をくすぐるものと捉えて好んでいたものですが、離婚してからは時間の経過とともに、世間で売られている使用済みも買うようになりました。

はじめは、どこの誰ともわからない者のを買うのは、ただの汚いものという感覚で、とてもそんな気にはなれませんでした。どうせどこかのバァさんかなにかが穿いた作り物だろう、というような疑う気持ちもあったからです。
しかしある時、友人の女性(性関係あり私の性癖を熟知)から相談を受け、彼女の友人で金銭的に困っている人がいるので助けてやって欲しいと請われ、2万円ほどの援助をしてあげたことがあります。友人の友人ということでしたが直接会うことはなく、直の友人のほうが、そのまた友人のほうの汚したパンティを2万円の代償として持ってきたのです。

直接の知り合いでなく、会ったこともない女性のものでしたが、この女性のパンティの汚れの形状、ニオイは私の好みそのもので、これが妻以外の女性の汚したパンティを好むきっかけとなりました。
この頃は上でも言ったように、今のように入手も容易ではありませんでしたので、結局は知り合いがらみを頼むようなことでしたが、年齢を重ねるにつれ、お相手に対する基準も、だんだん甘いものに変わっていきました。


全く他の理由からながら、妻と離婚したことは体や趣味の相性からも今でも残念に思っていますが、そのような経緯から、現在の独身、独善の自穿きパンティ・ライフに至るわけです。

このページを閉じる